chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

仕えるということ

「仕える」ということを
神楽の舞「歌の音」から、受け取らせていただいて
おりました。

神楽の舞を拝見したときのことです。

その音色から、その音の響きから、
わたしに、「仕える」という「こと」を
こうした「こと」だあ~~~と
涙がしたたり、こぼれおちてきました。

 

そんなある日、巫女さんとお話をさせていただく機会が
ありました。

神楽を見聞きさせていただいた日のことを
「あれは、実際、歌っておられたのですか?
テープ(笑)ではなく(大笑い)」

「はい。」

「そうですかあ。実は、あの日、歌の音をお聞きして
仕えるということ。を受け取らせていただいておりました。」
と伝えますと

「実は、10年ほど、舞、神楽に携わらせていただいておりますが
いつもは、譜面を見て、行わせていただいております。
しかし、あの日に限って、位置についたとき、譜面を
そこに、持ってきていなかったことに気づき
はじめて、譜面を見ずに、おこなった日でありましたので、
そのようなことを、言っていただいて、大変光栄に思います。」
と伝えてくださいました。

 

こうした「こと」が「在る」のですね。

素晴らしかったです。

上手く歌うとか、どんな風に聞こえるだろうか、
といったことではなく、
「そこ」に捧ぐ。捧げる。ということを
わたしは、この方から、音から、響きから、受け取らせて
いただいておりました。

そして、「そこ」に集中する。ということ。
捧ぐ。捧げる。仕う。仕える。
という「こと」の深さ。広さ。厚み。意味具合を、
いちにち。いちにち。こうして、
出逢わせていただきながら、
教えていただいて「いる」tabi(たび)の最中にあります。

 

chiemitabi

 

 

 

 

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