chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

思いがけないギフト その2

ギフト1に続く2
これまた、すてきにお創りして「いただき」ました。
その光景をバックに、

このようなイベントのなかで、ある「一場面」が「あり」ました。
6歳のおとこの子が、見にきて「いただいた」ときの「こと」で「あり」ます。

「これ、ぜんぶ、つくったのー?」
「うん。」と、うなづきながら伝えると
「すんごいよねー。すんごいよねー。」とおとなの人たちに言っていたことが、 とても印象的でした。
うまいとか、へたとか、そういうことでなし。
つくった「こと」への「讃える」ことをして「くださって」おりました。
わたしは、この子から、「感動」を「いただいて」おりました。

そのことを、数日後おとうさんとお話しする機会が「あり」
このことを、お話ししますと、そのようなことを言っていたことを
「知らなかった」とおっしゃっておりましたが。
実は、家で「いま」工作にこっていて、この子なりに、うまく「いかない」ことが「ある」ことを自分で知っていたり、経験したりしているから、なにか、つながるところ。感じるところ。なんかが、なにかわかるところが「あった」のかもしれない。とお話ししてくださいました。

わたしは、この6歳の子に、共感と容認という「こと」を教わりました。

自己容認や自己受容を一生懸命取り組んできましたが
その道中に、他者からの、容認を受ける。受け取るという「こと」の素晴らしさも、この道中で、気づかさせて「いただいて」おります。
どちらがどう、ということは、ここでは申しませんが、後に記す機会がありましたら、記して「ゆき」たいと思っております。

あらためて、両極をあじわうなかで大切さを知り得てきます。
日常のなかで、こうして、輝く宝石がたくさん散りばめられておりますが、もしかすると。
それは、かたちで見えるものも、在るのかもしれませんが、
かたちでは見えにくい「もの」として、おおきく(笑)、偉大な、それでいて、仰せつかった(笑)、もののように、
わたしは、感じていたり「します。」

思いがけない「ギフト」を、ありがとう。ございました。

 

旅(人生)の空から大地から

たかはしちえみ

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