chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

つながり、つながっている、つながってゆく

つながり、ということも、ひとり、ひとり、が捉える、
捉えて「いる」感覚も、感性も、また、実感も、
ひとり、ひとり、がちがいますが

 

そうしたなか、先日、友人たちと食事とお茶をする機会が
在りました。

一年に数回、節のなかでお会いさせて
いただく仲であります。


車で移動しているときに、わたしは、遠くで田んぼのなかに
白い雪?あれ、動いている。と
だんだん近づいてゆきますと、

なんと、白鳥でありました。

わあ、と思い、わたしは、白鳥を写真に納めさせていただきました。
これは、これは、たいそうな
「とき」の贈りものです。(笑)にんまりしていると、

友人が、わたしが、はぐれて?(笑)しまったのかと思い(笑)
車で、もどってきてくれ、

「たぶん(笑)、写真を撮っているんだろうなあ、
と思ったけれど、はじめての道でわかったかなあ、と思って
戻ってきただけだから。」と

「ごめん。ごめん。通ってくるとき、白鳥がたくさんいて
驚いて。わざわざ、見に来た、見に行った、もの、ことでなく
通ったときに、まさか、あのように、目にする、目にできたこと
嬉しくて嬉しくて、」と

すると、
「そうだと思ったあ。(笑)」と

 

友にも、本当にありがたく。

 

 

そして、お茶をしているあいだ、
もうひとりの友に、
ふと、
いろんなことがあっても、愉しんで、いるよね。と

なによりもの、あたたかい、ことばでありました。

身近かで、必要なときに、感じていただける存在。

 

 

そのそばに、わたしのそばで胡桃もほほえんでおりました。

わたしにとって、日常のなかでも、
日々のひとつ、ひとつの点が、
つながり、つながっている、つながってゆく、
ことばの経過も、ときの経過も、状態の経過も
「ことば」はひとつの道のりを示すこと、もの、でも在ります。

白鳥も、こうして、ここで、ひとつの点(時期、場所、土地、気候)を
「とき」を過ごし、こうした「とき」に、この瞬間に、
ご一緒できました「こと」「とき」にありがたく、うれしく思います。

 

 

chiemitabi

 

 

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