chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

kiduki(きづき)

kiduki(きづき)というネーミングで、綴らせていただいて
おります。

このkiduki(きづき)というネーミングで、第一章から、
根本、あるいは、根源は、変わりなく、変わらなく、
基盤は、まったくといっていいほど、揺るがない源を(笑)
お持ちようです。(笑)

お持ちの「よう」です。という表現には、
脇から眺めてみるさまから、「自身」を、そうした味わいを
醸し出す、漂わす、言葉の表現の「よう」でも在りますが(笑)

 

そうしたなか、第七章に入り、テーマは、
hajimari(はじまり)ということを、頂だいしておりました。

やはり、kiduki(きづき)にも、バージョンや、バリエーション、
あるいは、その人に置かれましたkiduki(きづき)が存在し
そうして、そうした、道のりを歩むわけでありますが、
わたしも、ようやく、
本道を歩かせていただく機会に恵まれましたこと
深く感謝申し上げます。。

 

そうした道のりのなかで、これまで歩かせていただいた
道のりのなかで、ふんだんに、豊富に、気づかせていただき、
また、学ばせていただいて参りました。今後もですが(笑)
たくさん。(笑)

 

そして、いかように、そのkiduki(きづき)が
自身の学びになり、その学びを、いかに、実践していくか
そうした実践を、
どのように、どこに、どうしたかたちで、あるいは、
どのようなことに、どのような「とき」に
表し、実践をともなって「ゆける」か、私自身、楽しみに
なっております。

そうした道というなかに、
自身で切り開くという文字で書かれていた(笑)、
よく耳にする、「道」で在ったように思います。
誰かの言葉でもなく、
うすっぺら(笑)な言葉ともなく、
そうした「道」が、
わたし本来の「道」で在ったかもしれません。(笑)
潜在意識のなかで。わかりはじめてきて「いる」という
「いま」でしたしょうか。

 

実践の枠も、実践の幅も、実践の深さも、実践の大きさも
実践の容認も、すべて、実践を通した、ことから、ものから
見えてきたり、見えたり、してくる、あるいは、きたりする
時代背景になってきていることも、
とても、うれしく、喜ばしいことでも在ります。

 

そうした kiduki(きづき)から、わたしは、
自身を、あるいは、能力を、あるいは、技術を、知識を、
どこに、どこへ、どのように、使ってゆくか、といったことをも
これまでとも、また違う使い方で、違うベクトルで、矢印で(笑)
蓋をせず(笑)、後ろに隠れもせず(笑)、前にも出すぎず(笑)
丁度いい、あんばいで、
わたし自身、そして、
その方々の、役にたつサポートと
そして、そうしたことも、
わたし本来のちからを発揮すること、できること、
あるいは、喜びと、そして、
本来進むであろう、上昇と、そして、全体への敬いと、
向かってゆく、ゆけることであろうことかとも、
思っている所存であります。

 

素晴らしい未来のために、いまを生きる。今日を生きる。
そうして、生かし生かされていく。いる。

ありがたい。感謝

 

 

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