chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

おはようございます。

おはようございます。

久しぶりの投稿であります。
久しぶり、という表現も、言葉も、どれくらい、どのくらい、と
思う、受け取る、「感覚」も
それは、それは、一口にも、一重にも、
多くを語ることはできない「こと」とも云えますが。

 

そうしたなか、いかがお過ごしでしたでしょうか。

その間も、この間も、さまざまな動きや、ことや
深いところでの動きや、浅いところでの動きや、目覚めも、
また、受け取りも、納得を飛び越えるところの、感覚をも、
悲しみを飛び越えたところの、感覚をも、

これは、しっかりと、自分を受けとめ、受け入れ、
浸透、あるいは、咀嚼、あるいは、
溶解してゆく、ゆこう、道中を歩き、眺め、ともに歩く
自身と出会って「いる」こととも、
受け取らせていただいているでしょうか。

 

また、今後の、これからの、道しるべ、といったところや、
うっすらと、ぼんやりと、あるいは、やんわりと、
浮かびつつ、みえてつつ、
削がれつつ、削がれてきつつ、あるいは、
越えつつ、越えてきつつ、きた、自身とお会いしている
といったところでしょうか。

 

人それぞれに、その方その方の道それぞれに、
人生を歩いて「いる」こと
あるいは、歩かせていただいて「いる」ことを
じっくり、はっきり、くっきり、理解してゆく
「強さ」と「優しさ」と「憂い」と「温かみ」と「キツさ」と(笑)
「厳しさ」と「温もり」と「ほほえみ」とを
経験させていただきながら、己をも知って「ゆく」tabi(たび)

 

自身から人から物事から見せていただく、
感動、あるいは、感動を飛び越えたところの、
帯線、琴線の太い線や面、点、芯が在ります。

 

そして、また、その経験が、この経験が、そのときに、必要で
経験されているなかで、必要な方へ、必要なときに
渡して「ゆける」ことの、ことを、この期間にも、
愛をもって、自身のなかで、
実感と確信とを、受け取らせて「いただいて」おりましたでしょうか。

また、その逆も。受け取らせて「いただく」ことも。
愛をもって「いただき」「渡す」このなんとも云えない作用や
巡りは、わたしに、至福の「とき」をあたえてくださいます。

 

皆さまも、さまざまな経験をなさって、様々な立場で
よりよい自身を獲得なさって「いよう」かとも思われます。

 

そして、このたび、山形は、地震という経験もいただきました。
メールをいただきました方々、そして、
目の前のことに、なんとか対処なさっていらっしゃるだろうなあ
と遠くから思い祈りくださいました方々、

ようやく、こうして、パソコンの前で文字を打たせて
いただいております。

 

目に見えるもの。目に見えないもの。

あるようで、ない。
ないようで、ある。

そうした存在に、あたたかく見守られております。
実は、いつも。

 

 

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