chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

「愛」ひともじではありますが
その深さも色もまた、輝きも、厚みも、ふくよかさも、
静けさも、潤いも、淑やかさも、華やかさも、しなやかさも
すべてが「異なる」色あいとも。このほかにも、もっと
在るかもしれません。在りますね。

 

そうしたなか、受け取らせて頂く「愛」という感覚に、

後から、わかって「くる」もの。こと。
「ゆく」もの。こと。また、
わかる「もの」「こと」「ひと」
とも、受け取らせて「いただいて」おり

それは、こころや、こころの奥底で
起こる「振動」「鼓舞」する「感覚」をも、(笑)
受け取らせていただく。そのなかには

しみじみと、あるいは、じんわりと、じっくりと、あるいは
ひたひた(笑)と、あるいは、じわじわと、あるいは、しんしんと、

伝わる、響く、振動。鼓動。(笑)

一瞬で受け取らせて「いただく」ものも、ことも。
時間の経過で、より「深く」「広く」浸み込んで「ゆく」ものも、
ことも、感覚をも、味わう、味わえる、ことをも、ひとしおで
在ります。

 

その「過程」は、いわば、
愛を「育む」「築く」過程でもあったり
あるいは、愛を「受け取る」過程でもあったり
あるいは、愛を「あたえる」過程ともあったり
あるいは、愛を「まなぶ」過程ともあったり

常に、どこにいても、どんなときにも、そっと、そこに
いてくださる。(笑)

 

しみじみと、この過程を、楽しむ、微笑む、振動も
心地のよい「もの」「こと」のようにも、受け取らせて
いただいて、「いる」ところでしょうか。

 

育っている。育っている。

育てている。育てている。

いちもじ、ちがうだけでも、「その」立つ、立っているところも
異なりますが
「そこ」には、「意味合い」や「色あい」を成して「いる」でしょうか。

 

このあたりも、しんみりと、しんなりと、その経過を
楽しませて「いただく」あるいは、
ほほえませて「いただく」歩みかた、あるいは、ありよう、ありかた
とも、味あわせて、いただいております。

 

 

 

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