chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

第八章 kiduki(きづき)と sitteyuku(しってゆく)

七月に入りました。さまざまな「とき」を過ごし、過ごされ、
また、いざない「歩む」ときを
お過ごしでしたでしょうか。

さまざな、「とき」、でしたでしょうか。

と同時に、さまざまな「こと」が、さまざまな「こと」を、
sitteyuku(しってゆく)tabi(たび)とも受け取らせて
「いただいて」おります。

 

そのtabi(たび)には、自身を知ってゆくtabi(たび)とも
tabi(たび)にも、あり、また、わたしのなかでは、なかにも(笑)
表しており、

その「とき」の通過の点、そのtabi(たび)の経過、あるいは
tabi(たび)の点であったり、道中であったり、
道筋、あるいは、道のり、あるいは、点、あるいは、プロセスとも
在りますでしょうか。在りましたでしょうか。

 

この「一瞬」の「たび(tabi)」ともあったり、
この「瞬間」の「たび(tabi)」ともあったり、また、
この「空間」の「たび(tabi)」ともあったり、
この「時分」の「たび(tabi)」ともあったり、また、
この「時間」の「たび(tabi)」ともあったり、
この「期間」の「たび(tabi)」ともあったり、また、
この「時機」の「たび(tabi)」ともあったり、
この「時期」の「たび(tabi)」ともあったり、また、
この「人生」の「たび(tabi)」ともあったり、

その「先」との「たび(tabi)」ともあったり、と、(笑)

見方は、見様は、さまざまな瞬間で、さまざまな角度で(笑)
さまざまな赴きで、また、さまざまな点として、
「観る」ことも、「観る」ことが、できますでしょうか。

 

そのようななか、

 

第八章 kiduki(きづき)と sitteyuku(しってゆく)tabi(たび)の
章を歩まし「いただき」また、開かせ「いただき」参ります。

 

この章をも、宜しくお願い申し上げます。

 

 

chiemitabi

 

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