chiemitabi

大いなる懐にて抱かれし、真我の道を歩む成りけり

こころの帳面

この季節、この時期に、時折、思い出すことが
わたしのなかに、在ります。

それは、こどもの時分に、子ども会でやった、やっていた、
七夕まつりを、町でやって「いた」ことなど、様子など
思い出すことや、やんわりと、ふんわりと
思い出す、景色を浮かび出さしてくださる「とき」が在ります。

 

大人のひとたちが、手作りでたくさんの用意をしてくださったこと。
そして、大人のひとたちが楽しんでいてくださったこと。
また、わたしたちこどもたちも、おおはしゃぎ(笑)していたこと。

を、いまの時分のわたしが、こうして、感覚を刻んで
息づいて「いる」こと。

それは、けして
高価な?(笑)食べ物を用意してくださった、ということを
わたしのなかで思いだされるではなく、

わたしが、残っているには、
町のなかにある会社さんの駐車場と倉庫を開放してくださって
わたしたちこどもたちが、お腹すかせて
ある程度食べられるようにと、たくさんのそうめんと
すいか割りをしながら、駄菓子と、いま、思うと
たいそう、ささやかなものでしたが
わたしたちも
たのしんで「いた」記憶を思い出されることが在ります。

そうして、「いま」のわたしと
その「とき」のわたしと、ともに「いながら」「ながめながら」
ともに「生きている」感覚に在ります。

 

そうしたなか、町のイベントのなかで
亡き父も、あるお店の駐車場で、将棋盤を十台
相手は小学生の子どもたち10人
父が移動して、一手、一手、打ってゆく。
その間、子どもたちは、手を考えてゆく、といった
あの当時の交流を交えた企画だったようです。

ゆくゆく、子どもたちが、といった父なる思ひや願いが
あったこと。

その姿も、わたしのなかに、深く鮮明に残され
刻まれております。

 

おひとかた、おひとかたの物語や背景もあり、
大切に育む箇所も部分も、異なりますが
とんな大きな七夕まつりではありませんが、

わたしのなかに残る、とんなおっきな(笑)
こころに残る七夕のいちページであります。

山形では、東北では、七夕を迎えるこの季節。
そして、お盆を迎えるこの季節に
こどもの頃のいちページを、

刻まれしゆく、こころのいちページを
ここに、綴らせていただきました。

 

 

 

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