第五章 kiduki(きづき)とyutakasa(ゆたかさ)

わたしの、小学校、中学校のときの、わたしの夢やなりたいことは
体育のお仕事、そして、なんといっても、歌手でした(笑)。そして、

三十代に入ると、
自分と生きる。そして、
みなと生きる。ということ

そして、この世を去るその日が、
いちばん、豊かな日「だったなあ」と思って、
ゆきたいと思っておりました。

その当時、わたしのなかで
あまりにも、大きすぎて解読(笑)することは、困難でした。

しかし、次第次第に、生きているなかで、生きてくるなかで、
生かされている、いきますなかで、
うっすらと、少しづつ、ちいとづつ、わかりつつ、
「在る」「いる」部分も存在してきております。

まだまだ、わたくしの人生は続きますが、一瞬、一瞬、
こめて、生きていきたい、と思います。

さて、どのようになり得ますか

豊かさとは、どのような、色あい、深さ、深み、広さ、ふくよかさ、
しなやかさ、ふくみ、あじわい、
あるいは、音、あるいは、香しい、あるいは、光 でしたでしょうか

さらに、先へと、進めてまいります。

chiemitabi


第四章 kiduki(きづき) と ai(あい)

人生の旅路を、航海中のchiemiに在ります。
わたしは、よく二人称の「あなた」という
表現をつかうことが在ります。

自身の右上から、なかから、物事や自身の在り様などを
視せていただくときに

自身でありながら、自身を「あなた」と
表するとき、が在ります。

二人称も、こうした深いところの意味では、幹線とも、
おおきな、まるいものとも捉えられたり、とらえたり、
できるのかもしれません。

これからの人生。あなたとともに、生きたい、
あるいは、ゆこうと思っております。

chiemitabi


第三章 kiduki(きづき)とmiti(みち)

人はさまざまな道のりを歩んでいます。そして、
歩んでおります。

誰一人として、おなじ道はなく、
また、おなじ道を歩むことも、なく、
ただ、(笑)ひたすらに、歩く道でもあろうことかと(笑)
思っております。

ときに、険しく、ときに、孤高い道もあろうことかと(笑)
思いますが

そうしたなかも、
そのような道を、自身が自身で選び抜く、あるいは、
選んでゆく、選んでいる、といったことをも
ある種、事実にあります。(笑)

はてさて、この道も、わたくし自身
どのような道に成り得ますか、わかり兼ねますが(笑)
しっかり、我が道をあるいていきとうございます。

今後も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

chiemi


chiemitabi

第二章 kiduki(きづき)とyurusi(ゆるし)
第一章 kiduki(きづき)とjikaku(じかく)

これまで、医療、介護の仕事。相談やマネージメントの仕事。
家業の仕事を通し、また

家族。きょうだい。夫婦。友人。知人。親族。物事。人。自身。を通し、
自分を知ってゆく道のりを歩いております。

至るところも。至らないところも。(笑)。
優れたところも。優れていないところも。(笑)。
すべて。まるごと。たかはしちえみです。

生きながらにして。生きているあいだ。
生きているなかで。前に進み。
愛をまなび。愛を教わり。愛を自他ともあたえ。
物事から。人様さまから。自身から。そして、宇宙のすみずみから。
愛を教わる。知ってゆく。旅路でも「ある」ことを確信しております。

一日。一日。自分を知ってゆく旅路でもあり、また、
生まれた喜びや意味をも、知ってゆく旅路とも確信しております。

日々の中で。日々を紡ぎ。一日。一日。さまざまな方面での愛をお届けいたします。

たかはしちえみ